都心を忘れさせるオアシス [管理人より]

二〇一〇年 赤羽自然観察公園にて.jpg

今年、西暦にしますと2010年、しかしこの年というのは私にとってもそうだったのですが、大きな節目だったのかも知れません。二十一世紀という世紀に入って10年、その二十世紀の終わり、あの頃から歩んで来た自分や周囲の変化、どれにしましてもこれ程に色濃く目に映った時は御座いませんでした。中にはそんな事も感じない等と言う人達も多数居るらしく、先日乗った地下鉄の車内で会話をしているスーツと鞄姿の者達はそのような事を仄めかす会話をしていました。何だか早いね、こういう感覚ならば私から言わせて貰えば、貴方は随分と気楽ねと言いたい所です。しかしカレンダーというものはその世紀その世紀毎に新しいものへ変えられて行く訳で、その新しい年というその元旦に託す想いというものは人それぞれに強くなって行っている気も致します。最近は鬱病を始めあらゆる精神的な疾患に倒れている人も増加傾向でありますが、本来そういう人向きな人気のないこの写真のような所を求めるような心身共に何ら問題もない人も日頃の生活に欲求不満なのかマスコミが煽り立てたからか不明確ですが、休日にパワースポットに集まる人の増加は雑誌に取り上げられた所を中心に何だか増えては押し寄せた等、報道でも良く流れました。最近は何だかモラルの欠片もないこれまた御粗末な人間達が自然を汚し環境を乱すという悪循環を指摘される声も何だかこう増え始めております。まぁ、私ならばゴミは必ず持ち帰るのですが、相変わらずその場にポイ捨てして行く人間も相変わらず居なくならないみたいです。本当に残念な限りです。まぁ、こういう事は知ってるよと知ったかぶりせず自ら自発的に周りがやっていないからと理屈込めず堂々とやって頂きたいものです。そうでなければ、それを本当に必要としている人に失礼ですから。私は声を大にして言いたい所です。でもしかし東京という所も意外に自然がまだまだ生きていて、このような都心の外れの郊外に出れば、飯盒炊爨をする場ないしかつての農家そのものが有形文化遺産として今も残されている公園と名は付いていますが、まだまだ自然はあるものです。私がこの写真の赤羽自然観察公園に辿り着いたのは昨年末の事、その日も今のように寒い冬空でした。その頃から私は湧水地や温泉地を探す旅を始めており、東京にそれを探していた所で偶然にここを探し当てたのでした。この公園の最寄り駅は都営三田線の本蓮沼駅であり、丁度、東京は板橋から北区に位置する所です。駅の直ぐ側には日本橋から連なる中山道が走っていて、この界隈には都心では決して目に出来ない安く良質な珍品が在ったりして、私はこの町で今年の1月にショルダーバックを買いました。丁度、北区と言いますと、JRの赤羽駅が近い所ですが、埼玉と東京の県境にもなっている、最も東京の北部であります。その県境を流れる川は京浜東北線で川口に向かう途中で見られるのですが、私は今は三田線を利用し、本蓮沼からこの場所に行っております。本蓮沼という駅名、それも実は蓮の田んぼがかつて在った所からどうやら来ているようで、こうローカルな田舎を求める私にとってはとても良い場所だったと言えます。とは言っても私の現在住む地である江戸川もかつてから畑とか沼地が多かった所で、こちらは千葉と東京の県境になっています。特に香取神社は徳川家のある将軍が名付けた小松菜由来の地でもあります。今では大量生産になりましたから、もうそういう文化も廃れ、今ではそういう匂いも消えておりますが、でも、ここ本蓮沼に降り立って周囲を見渡しますと、本当に昔に歩いては良く目にした光景が今も至る所にまだまだ点在しており、私としましては何だか嬉しさを隠し切れない気持ちにさせてくれる町でした。沿線で以前に無料配布されていたミニ荷風という薄っぺらいですが、この雑誌の中でも、途中の春日、その文京の本郷界隈の特集がこの間、組まれておりました。話しは変わりますが、ここ赤羽自然観察公園も地元のボランティアさんによって定期的に清掃等々が行われ良い環境が保たれているようです。ましてやここは湧水の流れていた某駐屯基地跡を整備し出来た公園でもありますから、自然保護されている野鳥も湧水も囲われている所へは出入りが禁止されております。その中で実際に入り体験出来るようになっているのが旧松澤家住宅と言われる農家な古民家で、その中に実際に入り見て触り当時の暮らし方を学ぶ、そういう所になっています。この写真は公園の入口からずっと歩き林地に差し掛かる辺りのキャンプ場であり、今もこうして見ますと、かつて私も体験した記憶のあるキャンプというものを回想します。こういう所でカレーなどを大量に作り、皆で食べると実に美味く感じるものです。私はここ最近の間に東京というものに対しての見方が変わってしまいました。その切欠となったのは、某駐屯地跡、その赤羽自然観察公園に来てからです。何処も人は変わらなくても、それを感じさせない場所はまだまだ在る。東京も満更ではありません。まぁ、都心の中のキャンプと運動が可能な単なる公園という見方をするとそうなってしまいますが、それでは何処に行っても同じ事、やはり重要なのはこのような各所をオアシスとして捉えられるかいなやの問題だけでしょう。今、各所のこういう何と言いますかスポット等を自慢大会するような人が大分多いですが、そうではなく、寧ろ本心から童心に帰って、今まで見失ってしまっていた何かを見つめ探す場所として行って貰いたい、私は今日ここを見に来て下さった皆様にこう願うだけです。人は住む地から離れのオアシスに安らぎを覚えるもので、その捉え方、それ次第では天と地の差が出てしまうものです。ビルディングから脱出出来る空間が少しでも残されていた、そう、こう思うと次第に捉え方が変わって行くものです。是非、皆様も宜しければ行ってみて下さい。

赤羽自然観察公園
東京都北区赤羽西5-2-34


30年前のLet It Be [ロック]



どうも今月というか年の瀬に差し掛かりますと更新の頻度も減る。しかしそれはミュージシャンにとってかけがえのない偉大な人物を丁度30年前に喪ったそれとも重なっているのかも知れない。ビートルズと言えば我が国の誰しもが知る偉大なる存在。しかしそのジョン レノンが銃殺されて今年の12月8日で丁度30年を迎え、それから月日は今流れている。とにかくこの貴重な資料を提供して下さった方に私は心から感謝を申し上げたい。丁度このニュースが流れた頃、それはバブルの真っ只中であった。銀行貯金をすれば勝手に金は増え、それは今では考えられない時だったのかも知れない。しかし人間という奴は時に憎しみを覚えたりし、時にその攻撃性をとんでもない方向に向けてしまう。現在55歳になろうこの容疑者、彼は罪を償い今何を思っているのだろうか。



Let It Be、或る日、この曲が手持ちのラジオから偶然流れていて、私はソニーのその時に持っていたカセットテープにこの曲を吹き込んでは何度となくこの曲を聴いていた。思い返せば少年期である。親父は当然の如くこの曲を知っており、しかし私はこれを聴いて何かを感じていた。今になってみればそれがビートルズとの出会い、いや、今も生きてて欲しかった。中学時代、私の周りには成り行きの友みたいなのが居て、奴らは単なるモテたいからなのか、私の家にやって来てはギターコードを教えろと来た。それも考えてみれば冬、今彼らもどうなっているかは判らない。今改めてこのナンバーを聴き返すと胸に込み上げる何かを感じる。音楽には世代というものを越えた魔法が宿っている。それは今この時に世界中の老若男女に愛され続けているそれが何より証明している事である。今月ばかりは気乗りしない。多分それはこの時期だったからに他ならない。


メッセージ性を持つ樹林から作られたコカリナ [ワールドミュージック]



この楽器、コカリナと言えば、私の地元から近所ほどの距離、その江東区は大島に在住している黒坂黒太郎さんの事が想い浮かびます。黒坂さんはその昔にフォークシンガーとしても活動をしていた人ですが、その後、民俗音楽に魅せられ、この人は後にコカリナ奏者になりました。しかしコカリナの動画というのもこのように数々投稿などされておりまして、こちらの福島県の都路の竹炭工房の都美の自然さを活かして演奏するこの方のコカリナ、自然の風に踊る草達の素晴しい一体となった風景は美しい限りです。黒坂さんが演奏している被爆樹で作られたコカリナ、正にその楽器は自然との共鳴体と言っても過言ではありません。木という部分においては撥弦楽器でもあるヴァイオリンもギターも鍵盤楽器であるピアノにしても共通する訳ですが、しかしこのように口に持って行っては吹く木の楽器というものは確かにまた一味違います。



この美しい映像の中ではブナの林とされている美人林とコカリナによって奏でられたアメージンググレスが流れている。しかしこの映像とこの曲を通しても米国のカントリーミュージックとの繋がりを感じてならないのは何故だろう。それはかつてウィリーネルソンのアルバムでアメージンググレスを聴いて、私はそれと重ねるようにこれを観たからだろう。正に自然樹林というものは国境を越えて我々に癒しを与えてくれる。それはそこにしか生息出来ない生物にとって必要な生きる場所であり、その風景は春夏秋冬、その樹齢80年のブナ一つをとってもこれだけ偉大なスケール感を感じるからだろう。この自然の偉大さや重要性に気づいた人間だけしか今この時に共有出来ない少し狭き世界なのかも知れない。しかし春夏秋冬の街路樹を我々は何時ものように通り掛る度に観て来ている訳ですから、自然と密接な関係があるという部分は避けられないだろう。つまり都心に生きていても、それは人工的に人間達の手によって植えられたものではあるが、自然との調和を取ろうとすればそれは何時でも可能なものであって、皆々生きている限り、それは続くのであろう。この重要さに気が付くと人間の価値観は180℃変わる。その結果として自給自足の暮らしに乗り換えた人間を私はここ数年の間、真直に観た。その方も日本の美しさを私に何時も語りかけてくれていた。


東京の名所を歩く [管理人より]

新井薬師梅照院にて.jpg

今年も年末が近くなりました。こちらのウェブログでは基本的に自然と共鳴する音楽をベースに、此れまでの間、アコースティック ギター インストゥールメンタルを主に遣って来ました。時たまに電子的なものも加えつつ、今回のような旅の一頁も記して参りました。年末が近づく頃、この頃になりますとジョン レノンもそうですが、巷には例年の如くクリスマスソング等が流れます。先日、私と友人で向かった中野の新井薬師の商店街も薄っすらとクリスマスの匂いを漂わせておりました。しかしこの町に来たのももう3回目、歩けば歩く程に地元にはない新鮮さを感じ、それなりに情緒さを感じる事が出来るようになって行きます。初見で行ったきりの町も数多く御座いますが、以外にこの町は通う毎に通い合えそうな気配もします。それは新井薬師の神社付近の未だ根強く残る風情と人情であり、何時もながら拝見する神社内の東京の名湧水を汲みに来る人達を真直に見ますと何故かふいとこの町の文化性を感慨させられます。子育てや眼病に効くとされる新井薬師、それは私のように強度の近眼の人には神みたいなものなのかも知れません。此処に在る都内でも飲用に適する白龍権現水。それは院内の龍の嘴から今も滴り、もう一つの井戸は連日のように地元の人達がペットボトルを持参し汲みに来る程のものであり、味は界隈、新井薬師の商店街にも在るような豆腐屋さん、その豆腐作りに最も適した水が昔からこの地では出ていたと言われる由来と重なる正に無味無臭無色透明の実に美味しい軟水でした。このような水はなかなか巡り会う事も少なく、参拝に来る人の中には汲んで帰る人も珍しくありません。初見で訪れた際には町独特の匂いがあり、なかなか入り辛さも感じましたが、以外に神社近くの駄菓子屋のおばさん等と話せばこのような問題は少しづつ糸解けて行く事でしょう。しかし入口の良い具合に枯れた木の葉の色具合は何度見ても美しいものです。先日よりも前回に訪れた際には商店街にオールディーズなナンバーも流れておりました。その音楽とも溶け合う庶民派な佇まいは独特な色を醸し出しています。そこから北へ進めば西武新宿線の駅と踏み切りが現れ、南に行けば中野通りに出て、早稲田通りの方角に更に進めばサンプラザ中野、中野ブロードウェイが現れて参ります。そのJR中野駅から早稲田通りの方角に延びる商店街はこれまた当地ならではのファッショナブルさを醸し出しており、主体に若者が居るのは言うまでもありませんし老若男女問わず懐かしめる風情も一角に残されていたりしています。私が好きなアナログレコード、それを扱う店もこの辺りまで来れば何店も在り、レアの中野店さんなどは中野通りに面していて入り易く買い易い所だと思います。先日も某テレビ番組で界隈の特集が組まれた関係か、辺りの店で焼き芋などを頬張る、女性友達なのでしょうか、店頭で食べながらに失われ消滅した風情を楽しんでいる光景が観られました。私が何時もここに行く際に通るコースは決まって大江戸線の中井駅から神田川の上流の流れを上高田の方角に歩き散策する方法で、今回は神田川を行く鴨の群れも見られました。それは正しく私が今まで多く観て来た御茶ノ水駅付近の淀んだ神田川の光景とは対称の大変綺麗な川のせせらぎのそれでした。その川のせせらぎは新宿ないし中野の辺りで妙正寺川と善福寺川と合流する手前のそれであり、合流した後の川は早稲田から江戸川橋の付近に見られ、都電の面影橋駅付近では全く違う光景が見られます。しかし面影橋という駅も六文銭というグループがかつて同題を昔歌っていた地であり、私などには縁もない当時の若者がコンパし合った淡い思い出が町角に色濃く残る町です。ここ最近、私はこの駅の周辺を西早稲田に歩きましたが、風情残る佇まいには驚かされました。今も残る石段、井戸跡、古本屋、高田馬場まで足を伸ばせば合流地点より手前の川も見られ、その駅から近くにはジャズ喫茶のマイルストーンも在りました。この辺りの町並みはフォークともジャズとも調和する色がありますから、以外に頭に思いながら歩くのも悪くない所です。しかし新宿まで帰りに足を伸ばせば今も昔も通過地点の如く、今日と明日を探す人々で街は賑わいを見せ、夜ともなればダークな色濃さを醸すようにネオンが黒に目立ちます。この中央沿線のエリアは音楽とも縁深い地でありますから、私などには良い町に映ります。是非、皆さんも参考にこのように秋から冬の散策をしてみては如何でしょうか。写真の新井薬師 梅照院は西武新宿線の新井薬師から直ぐ、バスの通る商店街を中野通りに歩く途中に在ります。

新井薬師 梅照院
東京都中野区新井5-3-5


11月に聴くAOR [フュージョン]



今年も十一月に入り二週目を迎えました。私的に今月はどうも新国際空港の方を思い浮かべてしまい、自然とAORでフュージョンな音を求めました。本当、私の場合はプラベートにて聴く音楽に糸目無く、その時の気分や季節、街の空気感を意識して何時も聴きます。まぁ、仕事として演るものとの区別が付いた方が精神的にも一番なのですから。さて、今回ですが、セッション系では有名な松原正樹さん、この人のギター、音楽というものが今月は当て嵌まりました。まぁ、感覚は人それぞれなのであくまでもお薦めです。しかしこの人はギター専門誌などにも何時も登場する程に優れたギタリスト、もう職人と言っても良いぐらいのプレイヤーと言えましょう。個人的には麻布の東京タワーを観ながらに頭の中でこういう感じの曲がかかっているといった感じでしょうか。愛器でもあるギブソンのES-335、このセミアコは似た類だとラリー カールトンも使っていましたが、なかなか良い音を創ってくれます。エレキの方においてはこの人のエフェクターのかけ方など、かなり勉強になるのではないでしょうか。かつてギター雑誌で特集が組まれていた際にはその辺りの事なども触れられて居られました。恐縮ながら、このYOU BABEというナンバーは私好みです。AOR、アダルト オリエンティッド ロックの略称です。



続いてはラリーカールトン、これは最も最近の方だと思います。しかしこのラリー カールトン グループの音もなかなかファンキーでジャジーではないでしょうか。或る意味、こういうファンキーなカッティング、その際のソロプレイなどはかなり参考になると思います。この人は本当に老舗で熟錬に達した世界的なギタリストです。私自身もラリーカールトンのアルバムを持っていますが、先の松原正樹、今 剛らと同じく今の季節に聴きたく夜にかけて聴いています。最近に出たアルバムは全てCDがメインですが、昔のアナログ盤の音も大変に捨て難く、とてもこのマイルドな特色が更に彼のギターをマイルドにしてしまうように感じます。デジタルがメインになって行く、これは時代の流れ上仕方なく、反面、機材などはコストパフォーマンス化する事により、グ~ンとコンパクトで製作においてコストダウンが進んでいるな、最近の方を聴くとそれなりの反映されている部分が判ります。この人のRoom 335というナンバーも好きですが、彼の使用するストラトキャスターの音も枯れており好きです。80年代辺り ですと音もフュージョンしていますが、最近の作品を聴きますと、またそれなりにアシッドなジャズ感が漂っているなと感じます。どちらかと言えばこの人の場合はあまりエフェクトをかけまくる方ではないみたいです。しかしコードワークに対してのソロの演り方だとかそういうものは大変に参考になると思います。この人は作品によってはアコギも使っています。何れにしましても、良いギタリストは違います。


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