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新春と雅楽の関係を考える [ワールドミュージック]



皆様、明けましておめでとうございます。今年もアコースティック クラブを宜しくお願い致します。早々、私の所は正月三箇日中の元旦朝に初詣を済まし、氏神様から行き付けの神社を回り御神酒を頂きました。私が住む辺りにも何箇所かの神社が点在しておりますが、圧倒的に香取、天祖、稲荷などの神社が目立ちます。その内、香取の所が一応氏神様になっており、以前から縁がありました。しかしそこは御神酒は無く、通りを隔てて隣の区、葛飾の天祖さんに行かなくては御神酒は頂けません。しかしこれも私ども毎年の恒例でありますからこの儀式を省く訳に行かず、最後に私はそちらに寄り、人っ気すらない清々しい晴天の下を歩いて帰宅しました。まぁ、その時から既に2011年はスタートしておる訳で御座いまして、今年もこのように引き続きアコースティック クラブはスタートして行く訳です。しかし正月の神社に良く流れている雅楽、本当に元旦のラジオ放送からはこんな感じの独特な龍笛などの響きが木魂しておりまして、なかなかその気分にさせてくれるものです。最寄の神社では大晦日からの年明けのみしか雅楽を聴く事は出来ません。でも、意外に神社という所も音楽との縁が強い所であります。これも十分に生ですから当然アコースティックなのです。



新春らしい響きを追って行きますと何故かこの一曲、「さくらさくら」に辿り着きました。雅楽の龍笛で奏でられるとこのような感じになるのですね。まぁ、笛にも色々な種類が在り、そのジャンルジャンルで使われているものはそれぞれの特徴があるものです。同じく「さくらさくら」という楽曲をそれぞれの楽器で独奏した場合、意外にこれはそれぞれの楽器の持ち味が良く判るものでして、例えばピアノでやった場合、ギターでやった場合、このような純邦楽の民族楽器でやった場合、それぞれに特徴や持ち味が良く判るものです。特に西洋楽器の場合、これはどうしても日本本来の純邦楽的な音や響きないし不陰気を創るにはしっくり来ず、同じく弦楽器でも意外に気持ち悪い音を持ち味とする琵琶とかの方が意外に合うものです。まぁ、ギターでもシタール的な効果を出せる人は例外ですけれども、意外に半音の間の微妙なニュアンスを表現出来る楽器と言うのでしょうか、何となくそういうものの方が面白い気も致します。ですから学校教材のソプラノリコーダーじゃつまらないという事です。本来、この楽曲の持ち味ないしポテンシャルを引き出せる楽器は純邦楽の琴とか尺八とかそういうものなのですから。又、西洋の人達でも、この辺りの研究に熱心な人が西洋楽器を改良して似た効果音を出すに至っているという事なのでしょう。段々と日本人は日本古来からの文化を軽率に見て扱うようになってきております。その現れは今の町に立ち並ぶ大量生産型志向の箱物住宅に現れております。


メッセージ性を持つ樹林から作られたコカリナ [ワールドミュージック]



この楽器、コカリナと言えば、私の地元から近所ほどの距離、その江東区は大島に在住している黒坂黒太郎さんの事が想い浮かびます。黒坂さんはその昔にフォークシンガーとしても活動をしていた人ですが、その後、民俗音楽に魅せられ、この人は後にコカリナ奏者になりました。しかしコカリナの動画というのもこのように数々投稿などされておりまして、こちらの福島県の都路の竹炭工房の都美の自然さを活かして演奏するこの方のコカリナ、自然の風に踊る草達の素晴しい一体となった風景は美しい限りです。黒坂さんが演奏している被爆樹で作られたコカリナ、正にその楽器は自然との共鳴体と言っても過言ではありません。木という部分においては撥弦楽器でもあるヴァイオリンもギターも鍵盤楽器であるピアノにしても共通する訳ですが、しかしこのように口に持って行っては吹く木の楽器というものは確かにまた一味違います。



この美しい映像の中ではブナの林とされている美人林とコカリナによって奏でられたアメージンググレスが流れている。しかしこの映像とこの曲を通しても米国のカントリーミュージックとの繋がりを感じてならないのは何故だろう。それはかつてウィリーネルソンのアルバムでアメージンググレスを聴いて、私はそれと重ねるようにこれを観たからだろう。正に自然樹林というものは国境を越えて我々に癒しを与えてくれる。それはそこにしか生息出来ない生物にとって必要な生きる場所であり、その風景は春夏秋冬、その樹齢80年のブナ一つをとってもこれだけ偉大なスケール感を感じるからだろう。この自然の偉大さや重要性に気づいた人間だけしか今この時に共有出来ない少し狭き世界なのかも知れない。しかし春夏秋冬の街路樹を我々は何時ものように通り掛る度に観て来ている訳ですから、自然と密接な関係があるという部分は避けられないだろう。つまり都心に生きていても、それは人工的に人間達の手によって植えられたものではあるが、自然との調和を取ろうとすればそれは何時でも可能なものであって、皆々生きている限り、それは続くのであろう。この重要さに気が付くと人間の価値観は180℃変わる。その結果として自給自足の暮らしに乗り換えた人間を私はここ数年の間、真直に観た。その方も日本の美しさを私に何時も語りかけてくれていた。


インド音楽に迫る [ワールドミュージック]



本日は週末でもありますので少し趣向を変え御送り致します。まず私が最近よく聴くものにインド音楽があります。このインド音楽に用いられている撥弦楽器にはこのようなシタールという、大昔の日本に伝わった琵琶などの原型ないし関係性の深い撥弦楽器があります。シタール、シターラ、これ以外にもバンスリですとか、フルートや日本の横笛とも関係深い吹奏楽器もあります。しかしこのシタールの演奏はサイケにも通じるような長時間の即興演奏も特徴かも知れません。何しろこの要素を多く含んでいますから。即興の部分を考えますと特にフリージャズとの関係も捨て難く、寧ろフリーインプロバイザー達はこのような方へ方へ迫っている訳ですから。アコースティック ギタリストでは国内でも抜群のテクニックを持つ小川倫生さんなど、この地の音楽要素を消化しギターを独自にアレンジしプレイしています。



続いて先ほども出ましたが小川倫生さんの動画です。これは見ると判りますが、ギターをシタールな音色へとアプローチした結果、ハープが追加され、取り付けられ、ギターは指板部分のスキャロップ加工の他にブリッヂ付近にシタール奏法で良く見かけるようなプラスチック片のような同様な効果を生むものが取り付けられ、更にチューニングもスタンダードなイレギュラーチューニングから変則チューニングへと変更されてプレイしているようです。この人は元々アイリッシュな感じのオリジナルを演奏するギタリストですが、この曲だけはインプロヴィゼーションないし即興演奏にて演られているようです。目を瞑って聴くと海の向こう、ヒマラヤ山脈やガンジス河の光景が沸々と湧き上がって来そうです。


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