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片田舎を想う朝に春の訪れを観て [管理人より]

神田川の桜.JPG

私は、今朝も何時もようにインスタントのコーヒーを愛用のカップに入れ、それを飲みながら外の木々を眺めている。今年も毎年の如く、それは気候などの変化で咲く時期の異なりはあれど、梅も桜も見事に咲いてくれた。目の前には或る宿舎の一本の桜の木、今朝は幸運にその満開を観ての一日の始まりだった。しかし午後も友人との約束があり、やはり花見がてらの外出である。先日、私は彼岸の中日という事もあってか、久し振りに遠出する。しかし上野駅から出発する一本の列車、それが何とも良い。そして序々に車窓に広がる景色も何となくカントリーさを思わせる田園風景で良い。私は洒落た都会さも嫌いではないが、でも自身の音楽性と照らし合わせて見ても、その片田舎さや田園の一面畑の光景は好きだ。愛用のアコギを手にしては鳴らし始めれば、或る意味で私達はこの情景を背景に何時だって何処だってそれを想う事には違いないのである。中にはアコギの代わりにガットを用いる者も居るが、当然、情景の描き方が同じであれば仲間と言える。そこにジャンルという仕切り板のようなものや各々のオリジナリティーさがある。音楽、一言に言っても実は専門性の土台は皆違う。ジョン レンボーンのようにクラシックをやってフォークに来た人も居ればその逆も居る。私にクラシックを教えてくれた恩師はその逆のパターンだった人だ。だからかその道一筋の専門家より柔軟で今となってはそれで私は良かったと思える。しかし私はあまり一つの枠に落ち着く事を嫌う者で、かえってそれが人と違う個性を形成付けた。つまり割と今日の多様を予測しコンテンポに消化する、それも浅からず深からず、というサジ加減、そうして独自性が確立されて行った。だからかアコギも今はコンパウンド ゲージを張った響きを出す楽器を道具にする。ヘビー、ミディアム、ライト、エクストラ ライト、フォスファーもブロンズ弦も一通り試した上でやはりそのようなサウンド感に私は基本的に聴くものも演るものも落ち着く方に向かった。チェット アトキンスないしムリエル アンダーソンの辺りが私の方向性とか基本スタイルというふうになる。つまりはそこに加わる要素が独自性に繋がる。最近、巷で山のペンションを想わせるログハウスを見かけた。そしてその市内の潮らしい風と何か春らしい気流が自棄に良いなと感じさせるのである。実は私が住む近くにもビリー ザ キッドという、その造りのステーキ屋さんがある。私は何度かその店を訪れハンバーグを頂いたのだが、店内にかかる古いカントリーミュージックが自棄にこの空間に合うなと感慨させるのであった。以前、丸太造りのアスレチックを観た事がある。しかし最近は近代化が進み、そのような遊び心のない公園や施設が増えている事に少し残念さを覚える。だが本日、神田川の桜を観た際、今ではここも毎春に訪れる地として私の中で定着した事を感じる。一本の桜の木を通してみても人にはそれぞれ想いがあり、一ヶ所の並木にその各々に異なる持つ人々がこの日本情緒さに酔い、共有しては帰り、またこの幸せを満喫し来年のこの時を待つのだなと感じる訳である。私は今日も何時ものようにAFN、ラジオに耳を傾ける。そこから流れる音楽は正に古き良きアメリカンさを想わせる。だからかアメリカン コーヒーが似合うのである。ビリー ザ キッドで食事をした夜、その食後に出されたコーヒーも美味かった。友人はブラックなのに飲み易い、と言い、その晩はそれぞれ家路に着く。ステファン グロスマンの奏でるようなボトルネックなカントリー ブルースがこのラジオから流れると、不意と私はその夜を想う。しかし朝という時間は実に清々しい。まぁ、サウンド ボードこそ、シトカ スプルース、イングルマン スプルース、ジャーマン スプルースと原産地の違いはあるのだが、その生まれ育った時空を超えて何か一つの音楽に一つになれる、一つのテーマや課題に取り組める、これはやがて大きな事に繋がる。この巨大なエネルギーやモチベーションを高める事の出来る時間は一日の中でも私は朝だけではないかと感じる。多分、来年も桜は咲くだろう。しかしこの間、私達は生命維持や他の生命を守る事以外にも立ち憚る社会問題とも闘って行かねばならない。

ステーキ ハウス ビリー ザ キッド
http://www.billy-the-kid.co.jp/

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都心を忘れさせるオアシス [管理人より]

二〇一〇年 赤羽自然観察公園にて.jpg

今年、西暦にしますと2010年、しかしこの年というのは私にとってもそうだったのですが、大きな節目だったのかも知れません。二十一世紀という世紀に入って10年、その二十世紀の終わり、あの頃から歩んで来た自分や周囲の変化、どれにしましてもこれ程に色濃く目に映った時は御座いませんでした。中にはそんな事も感じない等と言う人達も多数居るらしく、先日乗った地下鉄の車内で会話をしているスーツと鞄姿の者達はそのような事を仄めかす会話をしていました。何だか早いね、こういう感覚ならば私から言わせて貰えば、貴方は随分と気楽ねと言いたい所です。しかしカレンダーというものはその世紀その世紀毎に新しいものへ変えられて行く訳で、その新しい年というその元旦に託す想いというものは人それぞれに強くなって行っている気も致します。最近は鬱病を始めあらゆる精神的な疾患に倒れている人も増加傾向でありますが、本来そういう人向きな人気のないこの写真のような所を求めるような心身共に何ら問題もない人も日頃の生活に欲求不満なのかマスコミが煽り立てたからか不明確ですが、休日にパワースポットに集まる人の増加は雑誌に取り上げられた所を中心に何だか増えては押し寄せた等、報道でも良く流れました。最近は何だかモラルの欠片もないこれまた御粗末な人間達が自然を汚し環境を乱すという悪循環を指摘される声も何だかこう増え始めております。まぁ、私ならばゴミは必ず持ち帰るのですが、相変わらずその場にポイ捨てして行く人間も相変わらず居なくならないみたいです。本当に残念な限りです。まぁ、こういう事は知ってるよと知ったかぶりせず自ら自発的に周りがやっていないからと理屈込めず堂々とやって頂きたいものです。そうでなければ、それを本当に必要としている人に失礼ですから。私は声を大にして言いたい所です。でもしかし東京という所も意外に自然がまだまだ生きていて、このような都心の外れの郊外に出れば、飯盒炊爨をする場ないしかつての農家そのものが有形文化遺産として今も残されている公園と名は付いていますが、まだまだ自然はあるものです。私がこの写真の赤羽自然観察公園に辿り着いたのは昨年末の事、その日も今のように寒い冬空でした。その頃から私は湧水地や温泉地を探す旅を始めており、東京にそれを探していた所で偶然にここを探し当てたのでした。この公園の最寄り駅は都営三田線の本蓮沼駅であり、丁度、東京は板橋から北区に位置する所です。駅の直ぐ側には日本橋から連なる中山道が走っていて、この界隈には都心では決して目に出来ない安く良質な珍品が在ったりして、私はこの町で今年の1月にショルダーバックを買いました。丁度、北区と言いますと、JRの赤羽駅が近い所ですが、埼玉と東京の県境にもなっている、最も東京の北部であります。その県境を流れる川は京浜東北線で川口に向かう途中で見られるのですが、私は今は三田線を利用し、本蓮沼からこの場所に行っております。本蓮沼という駅名、それも実は蓮の田んぼがかつて在った所からどうやら来ているようで、こうローカルな田舎を求める私にとってはとても良い場所だったと言えます。とは言っても私の現在住む地である江戸川もかつてから畑とか沼地が多かった所で、こちらは千葉と東京の県境になっています。特に香取神社は徳川家のある将軍が名付けた小松菜由来の地でもあります。今では大量生産になりましたから、もうそういう文化も廃れ、今ではそういう匂いも消えておりますが、でも、ここ本蓮沼に降り立って周囲を見渡しますと、本当に昔に歩いては良く目にした光景が今も至る所にまだまだ点在しており、私としましては何だか嬉しさを隠し切れない気持ちにさせてくれる町でした。沿線で以前に無料配布されていたミニ荷風という薄っぺらいですが、この雑誌の中でも、途中の春日、その文京の本郷界隈の特集がこの間、組まれておりました。話しは変わりますが、ここ赤羽自然観察公園も地元のボランティアさんによって定期的に清掃等々が行われ良い環境が保たれているようです。ましてやここは湧水の流れていた某駐屯基地跡を整備し出来た公園でもありますから、自然保護されている野鳥も湧水も囲われている所へは出入りが禁止されております。その中で実際に入り体験出来るようになっているのが旧松澤家住宅と言われる農家な古民家で、その中に実際に入り見て触り当時の暮らし方を学ぶ、そういう所になっています。この写真は公園の入口からずっと歩き林地に差し掛かる辺りのキャンプ場であり、今もこうして見ますと、かつて私も体験した記憶のあるキャンプというものを回想します。こういう所でカレーなどを大量に作り、皆で食べると実に美味く感じるものです。私はここ最近の間に東京というものに対しての見方が変わってしまいました。その切欠となったのは、某駐屯地跡、その赤羽自然観察公園に来てからです。何処も人は変わらなくても、それを感じさせない場所はまだまだ在る。東京も満更ではありません。まぁ、都心の中のキャンプと運動が可能な単なる公園という見方をするとそうなってしまいますが、それでは何処に行っても同じ事、やはり重要なのはこのような各所をオアシスとして捉えられるかいなやの問題だけでしょう。今、各所のこういう何と言いますかスポット等を自慢大会するような人が大分多いですが、そうではなく、寧ろ本心から童心に帰って、今まで見失ってしまっていた何かを見つめ探す場所として行って貰いたい、私は今日ここを見に来て下さった皆様にこう願うだけです。人は住む地から離れのオアシスに安らぎを覚えるもので、その捉え方、それ次第では天と地の差が出てしまうものです。ビルディングから脱出出来る空間が少しでも残されていた、そう、こう思うと次第に捉え方が変わって行くものです。是非、皆様も宜しければ行ってみて下さい。

赤羽自然観察公園
東京都北区赤羽西5-2-34


東京の名所を歩く [管理人より]

新井薬師梅照院にて.jpg

今年も年末が近くなりました。こちらのウェブログでは基本的に自然と共鳴する音楽をベースに、此れまでの間、アコースティック ギター インストゥールメンタルを主に遣って来ました。時たまに電子的なものも加えつつ、今回のような旅の一頁も記して参りました。年末が近づく頃、この頃になりますとジョン レノンもそうですが、巷には例年の如くクリスマスソング等が流れます。先日、私と友人で向かった中野の新井薬師の商店街も薄っすらとクリスマスの匂いを漂わせておりました。しかしこの町に来たのももう3回目、歩けば歩く程に地元にはない新鮮さを感じ、それなりに情緒さを感じる事が出来るようになって行きます。初見で行ったきりの町も数多く御座いますが、以外にこの町は通う毎に通い合えそうな気配もします。それは新井薬師の神社付近の未だ根強く残る風情と人情であり、何時もながら拝見する神社内の東京の名湧水を汲みに来る人達を真直に見ますと何故かふいとこの町の文化性を感慨させられます。子育てや眼病に効くとされる新井薬師、それは私のように強度の近眼の人には神みたいなものなのかも知れません。此処に在る都内でも飲用に適する白龍権現水。それは院内の龍の嘴から今も滴り、もう一つの井戸は連日のように地元の人達がペットボトルを持参し汲みに来る程のものであり、味は界隈、新井薬師の商店街にも在るような豆腐屋さん、その豆腐作りに最も適した水が昔からこの地では出ていたと言われる由来と重なる正に無味無臭無色透明の実に美味しい軟水でした。このような水はなかなか巡り会う事も少なく、参拝に来る人の中には汲んで帰る人も珍しくありません。初見で訪れた際には町独特の匂いがあり、なかなか入り辛さも感じましたが、以外に神社近くの駄菓子屋のおばさん等と話せばこのような問題は少しづつ糸解けて行く事でしょう。しかし入口の良い具合に枯れた木の葉の色具合は何度見ても美しいものです。先日よりも前回に訪れた際には商店街にオールディーズなナンバーも流れておりました。その音楽とも溶け合う庶民派な佇まいは独特な色を醸し出しています。そこから北へ進めば西武新宿線の駅と踏み切りが現れ、南に行けば中野通りに出て、早稲田通りの方角に更に進めばサンプラザ中野、中野ブロードウェイが現れて参ります。そのJR中野駅から早稲田通りの方角に延びる商店街はこれまた当地ならではのファッショナブルさを醸し出しており、主体に若者が居るのは言うまでもありませんし老若男女問わず懐かしめる風情も一角に残されていたりしています。私が好きなアナログレコード、それを扱う店もこの辺りまで来れば何店も在り、レアの中野店さんなどは中野通りに面していて入り易く買い易い所だと思います。先日も某テレビ番組で界隈の特集が組まれた関係か、辺りの店で焼き芋などを頬張る、女性友達なのでしょうか、店頭で食べながらに失われ消滅した風情を楽しんでいる光景が観られました。私が何時もここに行く際に通るコースは決まって大江戸線の中井駅から神田川の上流の流れを上高田の方角に歩き散策する方法で、今回は神田川を行く鴨の群れも見られました。それは正しく私が今まで多く観て来た御茶ノ水駅付近の淀んだ神田川の光景とは対称の大変綺麗な川のせせらぎのそれでした。その川のせせらぎは新宿ないし中野の辺りで妙正寺川と善福寺川と合流する手前のそれであり、合流した後の川は早稲田から江戸川橋の付近に見られ、都電の面影橋駅付近では全く違う光景が見られます。しかし面影橋という駅も六文銭というグループがかつて同題を昔歌っていた地であり、私などには縁もない当時の若者がコンパし合った淡い思い出が町角に色濃く残る町です。ここ最近、私はこの駅の周辺を西早稲田に歩きましたが、風情残る佇まいには驚かされました。今も残る石段、井戸跡、古本屋、高田馬場まで足を伸ばせば合流地点より手前の川も見られ、その駅から近くにはジャズ喫茶のマイルストーンも在りました。この辺りの町並みはフォークともジャズとも調和する色がありますから、以外に頭に思いながら歩くのも悪くない所です。しかし新宿まで帰りに足を伸ばせば今も昔も通過地点の如く、今日と明日を探す人々で街は賑わいを見せ、夜ともなればダークな色濃さを醸すようにネオンが黒に目立ちます。この中央沿線のエリアは音楽とも縁深い地でありますから、私などには良い町に映ります。是非、皆さんも参考にこのように秋から冬の散策をしてみては如何でしょうか。写真の新井薬師 梅照院は西武新宿線の新井薬師から直ぐ、バスの通る商店街を中野通りに歩く途中に在ります。

新井薬師 梅照院
東京都中野区新井5-3-5


旅は心を豊かにしてくれる [管理人より]

2010年9月 葛西海浜公園にて2.jpg

今年も早いもので10月です。今年の夏も海辺は様々な人達がやって来て賑わった事は言うまでもありません。そこから少し経って秋になった時点で今一度この海を見に行きますと、何とも言えない九月終わり辺りの匂いが漂っておりました。夏の暑さが少し残る九月、そこにやって来る秋の風、それが同時に漂っているのは正に九月の海と言えるでしょう。ですから私は九月の海が好きなのです。人それぞれに好み任せに致せば統一はなくなりますが、でも皆々この「海」というものが好きだから四季関係なく色々な人達がここに訪れては帰って行くのでしょう。私はそんな気が致します。しかし今年はあの猛暑酷暑の中を少しだけ旅し、幾つかの発見や新たな出会いに至る事が出来ました。事情は人それぞれあれども、生きている皆それぞれに行く先で知った発見や出会いはこれから生きるにも正に潤滑的な働きを齎してくれる大事なものだと私は確信しております。こういう情報社会の中で皆様も私も便利という恩恵に預かって色々とリアルタイムに情報を引き出せるという訳ですが、でも忘れてはいけないのはそれを提供してくれている人の並々ならぬ努力苦労によって引き出せるという当たり前に対する「感謝の念」であります。私は何時も忘れた事はありません。しかし無縁社会などと段々と無情化し行く現代社会を考えますと大変に切ないです。今、このように様々な要因を抱える老若男女は大変に多く、益々増加の一方を辿っていると言っても過言ではない世の中ですから、ちょっと、たまには広い海に出かけて心を洗うなどのメンタルメンテナンスは必要な時代なのかも知れません。一秒づつ時は時計回りに過ぎて行きます。そこで大切なものはこの世に生きているという、生きていたという証を何らかの形で残す、こういう仕事なのかも知れませんね。私は最近つくづくこの事を感じております。しかし恩師や知人によれば貴方は進歩している方ですねと誉められます。これは自慢でもなく言うまでもなく私なりにやって来た事のそれなりの成果がその方々に認められてたという事なのでしょう。とくかく自身を見つめるなどは今忙しい人には大変に厳しい事ではありますが、もう国もこうなった以上、私達は此れまでと此れからを見つめて計算高く生きて行かなくてはいけない訳です。ですから、人が人を危める事は決してあってはならない事だと思うのです。貴方も此れから明日という未来に向けた探策を始めませんか。旅は心を豊かにしてくれるものです。


高円寺に纏わる話し [管理人より]

2010 高円寺阿波踊り.jpg

あれだけ暑かった今年の夏もそろそろ終りを告げようとしているようです。こちらの方ではもう夜になると鈴虫の音が聞こえ始めております。地球温暖化の影響で今年は確かに大打撃を受けている所は沢山御座いますが、例年通り変わらないものは変わりません。私は季節の節目を察するに、まず風や虫や鳥などの音をなるべく聴き、ここから従来通り四季の訪れや変化に気づくよう心掛けています。実際、情報も然程なかった時代に生きていた人達は、このような所から四季の変化を察していた訳ですから、或る意味、これは最も自然なのではないでしょうか。さて、本日ですが、こちらに掲載した一枚の写真が御座います、実はこれは先日、私が東京の高円寺に行った際に開催されていた阿波踊りの様子を納めた中の一枚で、今となっては記念の一枚になってしまったものです。高校を終え、一度は就職したものの音楽が諦め切れず代々木の音楽学校に2年間ほど籍を置いては卒業後の今も永延続く音楽との生活、この過程においてこの地、高円寺は非常に興味深い町でした。私が学生時代を終えて音楽以外の仕事をも掛け持つ頃、その頃から嵌り出しては今も続いているアナログ盤を発掘する旅、その始まりは何と中学時代に通っていた上野の蓄光堂というアメ横に在る中古レコード店からでした。当時、質屋流れで偶然手に入れた3千円のオートマチックのレコードプレイヤー、そのプレイヤーを手に入れるやいなやCDにはない音にすっかり魅了され、私は当時に好きだったアーティストのEPやLPを買ってはラジカセに繋ぎ良く聴いておりました。それから数年程の忘れ去られた時間が過ぎ、20代の前半に東京神田の神保町に遣って来ては再び探し始める日々、当初、国内のポピュラーが殆どだった私は海外アーティストやマイナーな廃盤に興味と新たな発見を見出し、気が付くとこの町、高円寺まで足を運ぶようになっておりました。当時は中古レコード店を回る以外に関心が無かった町並みというものも、巷の雑誌、東京人などで中央線の特集が組まれるやいなや、すっかり日本のインド的ティースト、中央線ならではの強烈な個性に自然と引かれるようになってしまいました。今は身を東京の東寄りに置きながらも、こうして時たまに西東京の高円寺に足を運んでおります。しかしここ現地で50年も続く阿波踊りは私が育ち暮らした町にないものでもあった為、今回、非常に興味深く、新鮮な思いで観させて頂きました。先日、その南口商店街は通常の土曜以上に活気付いており、暫く時間調整するに立ち寄った名曲喫茶「ルネッサンス」の中の優雅なクラシックの調べと外のギャップは何時も以上に感じられました。後、界隈を北に行っても、人は何時も以上に飲み屋やあづま通りの商店街に集まっており、それは通常に立ち寄る中古レコード店でもあり古着屋でもあるTHE55の店主さんと落ち着いて音楽談義する所の話しではありません。何時も賑う中央線な街もこのような御祭りな二日だけは燃えるのでしょうね。今年は灼熱な日々が続きましたが、先日はそれ以上に私は自然とテンションが上がってしまい熱かったです。やはり酒も入らずテンションが上がれるのは良いものです。しかしこの町は奥深い、それは音楽好きならば誰もがこう思っているのではないでしょうか。それは、祭りというもの自体が一つの音楽だからです。各連の三味線、太鼓、鐘、踊り、それらはこの地から巣立って行った著名な面々の誰しもが味わった夏の光景の一つでもあるそうです。又、この町の人は阿波踊りに情熱を注ぐ人が大変多く、欲に言う、独り者に優しい町であります。駅のガード下の商店街は何時も仲屋むげん堂が御出迎え下さり、古本屋を覗く私にとってはガード下に点在する古書店は有り難い存在以外の何ものでもありません。少し賑やかな人里を去れば杉並の集落地に出て行き、その堀ノ内という町名の集落には高円寺駅周辺とは変わった善福寺川の何とも自然な川を思わせる光景が見られ、そこでは今年初めてのツクツクボウシの鳴き声を私は聴きました。調べれば奥深い事に、善福寺川の上流は湧水との縁も在る地とされているとの事であり、今でも限られますが一部のエリアでは地下水が水道として使われているようです。良く観て見ればここは武蔵野台地、文京の本郷台と並ぶ坂の多い地帯であり、又、その中には今でも湧水の湧き出る箇所が存在します。杉並の地図からすれば水良き場所とされる地はやや北西側の御隣の阿佐ヶ谷を過ぎて荻窪より北上した上井草のようであります。これから秋になりますと御隣の阿佐ヶ谷でもジャズフィスティバルが開催されます。高円寺は50年間もの間、阿波踊りに情熱を注ぎ込んで来た人々が住む地であり、阿佐ヶ谷は秋ともなれば街一帯がジャズ一色に染まる。東京23区を探しても此れほどに音楽な文化人が歩き易い街は何処にもありません。最近になって私もそれをつくづく感じます。インドでアジアンな物も多く、サブカルチャーの匂いが町の至る所に漂っている高円寺、アダルトな人々が文化的に生きるに良い阿佐ヶ谷、このエリアには今でもジャズ喫茶やロック喫茶が数在った頃から続く匂いがまだ微かに次世代に受け継がれながらも薄っすら名残深く残されております。ここに纏わる文化は「高円寺フォーク伝説」という一冊の本を始めとする各本に紹介され載っておりますが、これは杉並区大宮の区立郷土博物館に行けば今も入手が可能です。


東京の水に纏わる話し [管理人より]

今晩は、数日程の間、こちらのブログの更新は御無沙汰でしたが、皆様の方は御変わりないでしょうか?ちょっと本日は雑談などをしてみたいと思い、今、パソコンを開けました。しかしこの暑さ、皆様如何でしょう?私は正直限界です。でも、何とか頑張っておりますが・・・ まぁ、でもしかし水っていうのは本当大事ですね。ここ最近は今日も夕方のテレビでちょっくらやってましたが、湧き水、この美味しい在り処を知っている人々が連日のように汲みに行っているそうです。この国には私も以前から興味がありちょっと調べていたのですが、かなりあるそうなんですね。その関東地方だけでも数十箇所はあるようです。まぁ、厳密に言うと何百、飲めない所も含むとですがね。ですが皆さん温泉とか湧き水というと目がないですね。ですが大事な事が一つあるのです。それは湧き出ている特に地下水は或る程度は地層下に無いと地盤沈下を招くという点です。これは温泉もそうなんですね。何しろ地盤の下の地層の下から噴出している訳ですから。となると、やはり汲み過ぎもちょっと頂けないという事になる訳ですね。私の住む区などは規定で掘るに使う管などの太さが定められていて、温泉の数も少ないですが(これは地盤がゼロメートル以下になっている地域も発生している関係から)、或る程度を残して沈下を食い止めるに止むを得なかったみたいです。場所は東京の江東辺りを中心にした周辺で、海抜0メートル地域と言われている所です。その代わり、他の坂の多い何層にも地層が重なっているような地域ないし区は今でもかなり在るみたいです。とは言っても量は地元の人に聞きますと「減っている」って言いますが・・・ まぁ、とにかく話題に乗るのはいいんですけど、メリットもデメリットもあるって事も踏まえて行かないと(先々の残して行くという事も考えますと)、まずいと私は思う訳です。今年、私も何箇所か湧き水を汲みに出掛けましたが、量は場所によって区々でした。又、井戸水とか湧き水というのは味が皆違うんですよね。これは本当に飲んでみて思いました。後、水道の水も実は東京の各所で若干異なるっていうの皆様も知っていましたか?その違いは各自で住んでいる管轄の浄水所の取水地を観に行くと判るみたいですよ。まぁ、私の所は江戸川とか利根川の水を引っ張っている所ですから諦めるしかないですけど、でも、取水井というもので地下水を電気で汲み上げている管轄に住んでいる方はかなり御得しているんじゃないでしょうかね。羨ましい限りです。以上、水に纏わる雑談でした。


Mr.ストリングベンダー 新宿改代町「オン・ザ・コーナー」 [管理人より]

オン ザ コーナー   20100807 a.jpg

先日の土曜、私は地元で行われる花火大会の前に一服しようと再び江戸川橋に向かった。最寄り駅は東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅である。しかし当日は水道橋から神田神保町へと歩きたく、何時もの如く私は都営三田線の春日駅、そのシビックセンタービルの出口から地上に上がった。小滝橋行きのバスを待つ人々は既に何人か居り、私は後に来たバスに乗り込むと石切橋というバス停にて下車し、前回も向かったオン・ザ・コーナーさんを訪れた。位置的には文京の江戸川橋近くの地蔵通り商店街の外れの一角に中り、その商店街の入口には地蔵様が居る。地元の人の話しによればその地蔵様の所は昔は吹き曝しで最近になって屋根を付けたんですよと言っていた。歩いて見ると何とも良い感じの商店街であった。しかしそんな新宿の改代町の一角に点在しているオン・ザ・コーナーという喫茶は私のような老舗のアコギ弾き好きにとっては畏れ多くの店でもある。何しろマスターはかつてかの有名な中川イサト氏と一緒にやっていた人だからだ。実際、店に入れば最初は蕾んでいた口もとうとう開かされてしまった。何故なら店内にはストリングベンダーの取り付けられた70年代製のテレキャスターがカウンターの向こうに立て掛けられているのですから。色々とマスターと側のママさんと語らって行く内に音楽談義からギター談義へと変貌してしまった。マスターでありミュージシャンの伊達さんが自作したストリングベンダーには当時の話し無しに語るに不可能なエピソードがある。店の前に飾られているロンギス&メッシーナやイーグルスのレコードジャケットもさて置き、何と言ってもザ・バーズのギターリストであるクラレンス・ホワイトの存在はストリングベンダーと切っても切り離せない所である。古いカントリーを耳にすれば必ずと言って良い程に耳に付くペダルスティールギターの音、そのワーミーペダルを踏んだ時に出せるような音程変化を当時のクラレンス・ホワイトは自らのギターに得る為に加工を施す、これがストリングベンダーの始まりとされるのです、マスターの伊達さんはカウンターの奥に座る私に話して下さった。それを日本で一番最初に取り入れた人は何を隠そう中川イサトさんだった訳である。当時、今ほどに情報豊かな社会でも無かったその時、イサトさんはマスターの伊達さんに快くストリングベンダーの中身、仕組みを見る事に了承して下さったのだと言う。マスターはその構造ないし仕組みを一度見て自作でベンダーを取り付けたのだという。これはカントリーないしカントリー系のロックギターリストにとっては非常に興味深い話しである。建て構え喫茶店でありながらクラフトマンな話しは尽きる事もなく、気が付けば夕暮れ近し午後も5時を回っていた。中でも空気清浄機の下に在るペルー発祥のカホンを自ら自作しワイヤーではなくスナッピーを独自に取り付けた市販品に無い面白い音には感無量であった。その仕事はかつてハードウェア開発に携わっていた方だけに丁寧さも窺えた。他にも、Sヤイリのアコースティック・ギターのボディーを通常の3/2程にカットしソリッドなエレアコに改造した物、自作のフラット・マンドリン、エルボーカットなどを自ら施しては店名をヘッドに印刻したテレキャスター、どれをとっても感無量であった。帰り際、気さくな御人柄のマスターは何と御奨めのギターショップを紹介してくれた。それは以前に界隈に来る際に某大手レーベルと同じく気にかけていたコム・ミュージックというギターショップであった。私のようなアコギ弾きな人間はどうも薄いボディーというものに逆に抵抗感がある。何故なら箱鳴感が全然違うという事を思い込んでいるからである。しかしどうだろう今の技術、まるでレスポール程のボディ厚にも関わらず某大手のエレアコよりも軟らかくアコースティック感が失われない最新鋭エレアコ。私は後に紙に書いて頂いた地図通りに行ったコム・ミュージックさんの店内で私は驚きを隠せなかった。その時、店員さんが手にし商品説明していたのは数万程の韓国産。しかし今の技術というのか、その仕込み具合は感無量であった。今の韓国製は馬鹿に出来ないと伊達マスターのそれは確かにそうであった。ただしそれは一部のチープな所に後々手を施して更に道具に仕立てたならその言われ通りの理想へ近づくのだろう。何しろギターも最薄で且つ弾き易くコストパフォーマンスにも優れ良い音がしなければ今日のメーカー競争に勝ち残れやしないのだから。この世にはギターを開発する者が居てそれを買うユーザーが居る。この二つの価値観というものや好みも確かに区々である。何しろ今は個人自由主義化した時代なのだから。しかしこうして「ギター」というカテゴリーに一つになれる空間ないし一時というのは何よりも嬉しい。8月7日の土曜日、その夜の花火大会前に機運とも言えよう新しいギターとの出会い。それは久し振りに新鮮な気持ちになれる一時であった。日本フォークに明るいママさんとも話しも実に楽しかった。


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