28歳の若さで死したアシッド界の栄光、ティム バークレイ [フォーク]



暫くこのウェブログを更新する事なかった時間、その時間に感じていたものは自然回帰へのメッセージだった。私は凍える程の冷めた都会のアスファルトを歩き一軒のレコード屋に辿り着く。その店の中で包まれるように耳に入って来た歌声、それはTim Buckleyの曲だった。何もかもが二十一世紀さながらにクールな色合いを見せ付けてくれるが、その寂れた一軒のレコード屋さんだけは何故か温かかった。Tim Buckley、この人はアシッド フォークの方では知られた人物であるが、実は1975年の9月に28歳の若さでこの世を去っている。又、息子のジェフも1997年に31歳の若さでこの世を去っている。この父、ティムは丁度、安保の時代に、戦争などという愚かな争いは止めろと、時にそのメッセージを大衆に歌を通して訴えた。サウンドは現在のアヴァンギャルド系にも通じるベルなどの音が効果的に入っており、それがアシッドさを醸し出している。



或る日、その寂れたレコード屋から漏れる歌を聴いた私は、次第にこの人の事が気になり始めた。すると雪降る中をコートの襟を立て、この人の貴重なる音源を探した。この世に出されたアルバムは全7枚、その一枚一枚にはその時ならではのメッセージからなる音が込められている。この曲は恐らく最後に出たライブ盤なのだろうか、パーカッションに乗せて歌う彼の魂が今の時代に息吹きを吹き込む。何かとオーバーラップする時は人それぞれにあるものだから、きっとこれを見に来ては何かを思う人は必ず居る事だろうと思う。私は最近ラジオやテレビから流れる煩く喧しい音に疲れていた。そして、このウェブログを暫く更新する事なく、自然に帰ろうと決め、足を西の方へ進めていた。その自然美な光景が目に入ると、直ぐに足元に戦争の傷跡が整備と言う名の下でごまかすかのように造り替えられている事に気がついた。70年代後半、青山公園のテント、今は伝説の名に挿げ替えられた森田童子氏は、私達のような者が、このようなテントすらまともに張れない環境の元で消え行く事を訴えていた。その暗さは当時の社会、そして今、現代音楽が死に行く中で再びオーバーラップする。


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